姫とコウモリ 1

 「コウモリ、煙草買ってきて」

姫は樹にしょっちゅうこの類の我儘を言う。樹はため息をひとつ吐いて、それまで座っていたデスクチェアから立ち上がった。

 この部屋のソファにふんぞり返って座っているのは、煙草を所望した姫――姫塚翔だ。本当の名前なのかは樹も知らない。おそらく違うだろう。彼の目の前に置かれた灰皿は煙草の吸殻でいっぱいで、今にもこぼれそうになっている。樹は財布を取りに行くついでにそれを回収してゴミ箱に捨て、元の位置に戻した。姫はテレビをザッピングしながら樹の方をを見ようともしない。煙草の匂いが充満した部屋は退廃的といってよかった。樹も同じく喫煙者だが、姫のようにヘビーではない。

「ついでに何か買ってくるか?」

 訊ねると姫はやっと顔を上げ、樹に視線を寄越す。総白髪のように見えるが、艶があり美しい。ブリーチしている訳でもなく、これは彼の地毛だ。肌が白いのも相まってアルビノを思わせる。やや長い前髪の下には、虹彩が花火のように銀に散るブルーグレーの瞳。色だけ言えばコスプレでもしているようだが、その自然さでそうではないと分かる。モデルと見間違う長身痩躯と美しいかんばせは、ひとを惹きつけてやまない。年のころは、二十代半ばに見える。

「じゃあいつものやつ」

「はいよ」

 樹はダウンジャケットを着、財布のほかにスマートフォンと鍵を拾って玄関に向かい、煙草と『いつものやつ』を買いに徒歩三分のコンビニに向かった。

 

 皇守樹。コウモリイツキ、と読む。こちらは姫と違って本名である。この珍しい苗字ゆえに、学生時代からずっと家族以外には『コウモリ』と呼ばれてきた。姫もご多分に漏れず、である。多分だが、樹の父も祖父もそのまた父も、同じように姫に『コウモリ』と呼ばれていたに違いない。何の事か分からない? それもその筈だ。

――姫塚翔は、人間ではない。永遠を生きる“魔女”である。そして、その守り人の一族が皇守家なのだ。

 

 元々、皇守一族は土着信仰の祭司を務めていた。もう詳しくは伝わっていないのだが、一族はある時何らかの呪いを受けた。一族の子供は元服前に死ぬ、という呪いである。まさに一族の血が途絶えそうになったその時、現れたのが“魔女”だった。彼は、一族の長に自分を守る代わりに寿命を延ばしてやると取引を持ち掛けた。老いない彼はひとりだと何かと不都合があるらしく、守り人を探していたのだそうだ。ただし、延命できるのは当主ただひとりで、一族の他の者は同じように元服前に死んでしまう。一族は藁にも縋る思いでその申し出を受けた。当主さえ生き延びれば、血は途絶えない、と。

 当主は“魔女”と共に住処を転々としながら、三日に一回程度彼の魔力供給を受け、それにより命を繋ぐ。

 その皇守家の末裔が樹という訳だ。

 

 時刻は二十一時を回っている。十二月の風は冷たく、樹は外に出た途端身震いした。月が出ている。都心の空は狭いが、生まれてこの方東京にしか住んだことがないので他を知らなかった。都会の方が隣人に無関心だし、姫の特徴的な容姿も紛れるため、樹たちは今のところ都内ばかり渡り歩いている。住宅街の中、コンビニの光が見えた。店員のカタコトの挨拶を聞きながら『いつものやつ』――コーラを手に取るとレジに向かう。煙草の番号を告げてカートンでと頼み、それも会計してもらうと、店を後にした。

 

 樹が姫と出会ったのは、十年前のことだ。

 

父が――皇守裕一が死んだ。樹が高校から帰ると、憔悴した様子の母がそう言った。

 樹は母に育てられた。母は色白で美しく小柄な人だったが、活力に溢れた人で、看護師として働いて樹を高校まで通わせてくれている。いつも気丈な母が声を押し殺すように泣くところを、樹は初めて見た。

 父は別に暮らしていたが、時折帰って来て樹を可愛がってくれた。その時母と樹が不自由なく暮らせるほどの金を置いて行ってくれていたのを、後から母に聞いた。

 葬儀は近親者のみで執り行われた。近親者と言っても、父方の親戚はみな早逝していて母方の親戚、それも樹の祖父母と母の妹の三人だけという出席者だった。

 だが、葬儀が始まると一人の青年が会場へ入ってきた。銀髪、というのだろうか。白髪のようだが、明らかに違う。ブリーチしているのであれば、相当ケアしてあるだろう。肌も白い。瞳も少し薄い色だ。二十代に見える。モデルみたいだ。具合でも悪いのだろうか、少しふらついていた。焼香をして出ていこうとした彼を、母が追いかける。そして何か話してから彼を一度ひしと抱き締め、そのままわんわん声を上げて泣き始めた。樹は驚いて走り寄り、母の背を撫でる。

「すみません、母が……」

「いいんだ」

 樹は顔を上げた。青年も泣いていた。こちらは静かに、ただ涙が一筋頬を伝っている。綺麗に泣く男だ、とつい見惚れてしまった。母はようやくしゃくりあげながらも彼から身体を離し、ごめんね、と彼にか樹にか分からない言葉を落として、席に戻っていく。樹もそれを追いかけようとすると、青年が樹の腕を掴んだ。

「お前が裕一の息子の樹だな?」

 確認、というより、縋るような声音だった。樹が頷くと、彼は手を伸ばし愛おしむように樹の頬を撫でた。びっくりして微動だにできなかった。その時、青年に既視感を覚えた。何処かで会ったことがある。

「よく似てる」

 母にも言われる言葉だ。あなたは裕一さんにそっくりね、と。そんなに似ているだろうか、と父が帰って来るたび思ったものだが。

 青年は、手をゆっくりと下ろすとそのまま葬儀場から出て行った。

 

 翌日、母が大事な話があると樹を居間のテーブルに呼んだ。父の経済的補助の話はこの時点で聞いていたから、もしや高校を辞めて働かなくてはならないかもしれないのだろうか、と思った。元々友人も少なかったし、勉強に特段執着がある訳でもなかったから、そうなってもいいと決意をしていた。

 だが、母から聞かされたのはとてもではないが信じられない話だった。皇守家と“魔女”の契約について、樹は初めて聞かされたのである。疑いを差し挟む余地もないほど真剣に、母は樹に言い含めた。だから樹は、最後にはその話を受け止めた。

 「樹。あなたは今日から魔女――葬儀であなたもお会いしたわね――と一緒に生きていくの。それ以外、あなたが生き延びる方法はないのよ」

 今日から見ず知らずの青年と暮らせ、より、今すぐ自立しろ、の方がまだ易しかったかもしれない。だが、選択肢は他に用意されていなかった。本当なら、父を喪った母を支えてやりたかったのだが。

「母さん、親父が偶にしか家に帰って来られなかったように、俺も母さんにはしばらく会えないってことだよな」

「ええ」

「……今まで育ててくれてありがとう」

 テーブルに両手をついて頭を下げる。すると、唐突な行動に驚いたのか数拍置いてから、母がその頭を撫でてくれた。

「いつまでも樹は私の子供だから。偶には帰って来なさいね」

 そんな優しい言葉に見送られ、荷造りをしてその日のうちに家を出た。待ち合わせに指定されていた歩道橋に上り、下の道路を行き交う車をぼんやり見つめる。日が沈む。オレンジ色に染まる世界はひどく美しく、父が死んだことなど知らないようだ。

「コウモリ」

 昨日は樹と呼ばれたのに、今日は苗字だ。樹の苗字は『皇守』という。友人にはだいたいそう呼ばれていたから、すぐ反応できた。呼ばれた方を振り向くと、昨日の喪服ではなく、トレンチコートを着た“魔女”がそこにいた。

「あんたの名前を聞いてない」

「……そうだな……姫塚翔。好きに呼べ」

「じゃあ、姫」

 露骨に嫌な顔をされたが、好きにと言った手前訂正できないらしい。樹は少し笑って、先に歩き出した姫を追うように歩き出す。そこでようやく、これからこの男と生きていくのだ、と実感したのを、樹は今もよく覚えている。

 

帰宅すると、テレビの音が先程と同じように流れていたが、姫の方を見遣るとソファにくるんと丸まって眠っていた。寝るならテレビを消せよ、と何度思ったかしれないが、なんとなく姫のことは甘やかしてしまう。守り人としてだけだったら、こんなに彼の我儘は聞いていない。何と名付けていいか分からないこの関係性が、そうさせていた。

暮色蒼然

蝉の声は遠く、波が打ち寄せて素足に触れては引いていく。制服を捲り上げ、ローファーにソックスを突っ込んで両手にぶら下げたまま、砂浜を踊るように歩いていた。歩は前を行く啓の背中を追いかける。啓が振り返ると傾いてきた陽射しと重なって眩しい。

いつだって啓は歩の先にいた。出会った時からずっとだ。天才。その言葉が相応しい。

 

小学生の時、環境保護ポスターで市長賞をとったのを皮切りに、夏休みの課題が載る冊子の表紙を飾り、平和祈念ポスターでも金賞を受賞した。その才能は絵画に留まらず、粘土や工作などの造形でも幾つも賞をとっている。陶芸、彫刻、啓は何でも挑戦したし、どんなに初心者でも持ち前のセンスでコツを掴んでしまうのだ。中学でもそれは続いたし、高校に入っても同じだった。一方、歩はどんなに頑張っても二位、たいてい佳作止まり。誰より絵を描くことが好きだと自負していたのに、その情熱は空回りし、評価に繋がることはなかった。

啓は、美大に進学するに違いないと、信じていた。

 

「体育大に進学する」

高校二年の夏。啓にそう言われた時、歩は耳を疑った。確かに啓は美術ほどではないが身体を動かすことが得意だ。それでも、何故、と思わずにはいられなかった。

「どうして、」

歩が訊ねると、啓は今まで見せたことのない、諦めのようなものを滲ませた表情をした。

「賞とか大人の為に描いてるみたいで、きつい。趣味ならとやかく言われなくて済むだろ」

そんな。歩は憤った。そんな理由で、美術を手放すのか。神に愛された手を持っている癖に、歩がどんなに努力しても届かない領域にいるのに、それをあっさりと。

「歩にはわかんないよ」

「わかるわけないだろ!」

歩が声を荒らげると、啓はびっくりしたのだろう、びくりと身体を硬直させた。

「お前の見てる世界なんてどうせ俺にはわかんないよ! きっと一生わかんない! でもさ、お前言ってたじゃん、美術好きだって! 大人に負けんのかよ、お前の好きな美術であいつら黙らせてやれよ!」

気付いたら涙が滲んでいた。悔しかった。今気づいた。啓の作品に誰より嫉妬していた歩は、啓の作品が誰より好きだったのだ。それが大人の土足で蹂躙された結果、もう見られなくなることが、残念でならなかった。

「歩」

もう、その心が固まっていることは察することが出来た。歩は涙をシャツの肩のところで拭うと、啓の腕を掴む。

「海行くぞ」

意味なんかなかった。この後の授業なんてどうでもよかったし、美術部の活動なんてもっとどうでもよかった。啓と、このまま何処かへ行きたいと思った。たまたま電車一本で行ける海が候補に挙がっただけだ。啓は真剣な顔で頷いて、それから子供のように嬉しそうに笑った。

「行こう、海」

 

着いた頃には、夕方だった。鞄を砂に放り投げ、ローファーを脱いで波と遊ぶ。このままずっと、ふたりきりでいられればいいのに。天才も凡人も、進学先も、美術も、何にも関係ない、ただの幼馴染ふたりで、波と戯れていられたら。

「歩、陽が沈む」

山の方へ、陽が沈んでいく。海が朱色に染まり、空から天鵞絨のように群青が降りて来る。ああ、水彩で描いたら綺麗だろうな、と思ってから、きっと、自分は美術の呪いから逃れられないのだと知る。啓もまた、その呪いにかかっている。

「なあ、アイス食べて帰ろうぜ」

「うん」

何の衒いもなく、帰ろうと口に出せる啓が羨ましかった。歩は、夏の終わりの気配をすぐ傍に感じながら、海に背を向けた。

蓮は夜に咲く

【あらすじ】

砂漠の王国の貧民街で暮らす青年、ロト。ひょんなことから王弟であるハーディに気に入られ、王宮に召し上げられるが……。

【登場人物】

・ロト

赤銅色の髪と真紅の瞳、褐色の肌を持つ青年。喧嘩に強く、貧民街のリーダーの右腕的存在。読み書きは出来ないが、頭はいい。

・ハーディ

王弟。長い黒髪と群青色の瞳を持つ、美貌の持ち主。賢く優しく穏やかで知られる。

・ファイサル

ハーディの騎士。柔らかい口調で話す。武芸に秀でており、ロトには兄のように接する。

・アーティファ

厨房を任されている少女。物怖じしない。ロトのよき理解者。

・アレフ

貧民街のリーダー的存在。

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